森崎ウィンさんと言えば、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『レディ・プレイヤー1』の
ダイトウ(トシロウ)役が有名ですね。
そんな森崎さんですが、実は日本人ではなくミャンマー人なのをご存知でしょうか?
日本へ来る前は、祖母と2人で暮らしていた森崎さん。
両親は彼が小さな頃から、日本や海外で共働きをしていました。
子ども時代はどのように過ごしていたのか?生い立ちについても気になりますね。
今回は、森崎ウィンの子供時代は?両親と住んでない?生い立ちを調査!について調査していきます。
森崎ウィンの子供時代は?生い立ちを調査!
森崎さんはミャンマーのサイゴン生まれ。
両親は彼が生まれてすぐに海外へ働きに出て、そこからおばあちゃんとの2人暮らしが始まります。
森崎さんの『ウィン』という名前はおばあちゃんが名付け親、意味は『明るい』です。
名前の通りに明るくて、努力家な森崎さんの子ども時代について詳しく見て行きましょう。
子供時代は両親と別々に住む
日本や海外でずっと働いていた両親と、子ども時代は別々に暮らしていた森崎さん。
母親も生まれるとすぐに働きに戻っていったそうです。
両親の仕事は、
- 父親:若い頃は各国を巡る船の整備士、現在は都内でミャンマー料理店経営
- 母親:都内で事務の仕事(現在はミャンマー在住)
両親が森崎さんに会いに戻ることもあまりできなったようで、普段は電話で話しをしたり、
日本のおもちゃを送ってくれることもありました。
おばあちゃんがいてくれたおかげで、あまり寂しいと感じたことはなかったそうです。
ミャンマーで裕福な暮らしができたのも、両親が頑張って働いていてくれたから。
なかなか我が子に会えなくて両親も寂しかっただろうなと、親目線で考えてしまいます。
9歳までおばあちゃんと2人暮らし
両親が日本へ働きに渡り、9歳までおばあちゃんと2人で暮らしていた森崎さん。
おばあちゃんは、アメリカや日本で暮らした経験から英語教室を開き先生をしています。
有名だったため、教室にはたくさんの生徒が通っていました。
教室で英語を楽しく学んだ森崎さんは、ミャンマー語・英語・日本語を覚えトリリンガルに。
おばあちゃんは社交的な性格で、周りから慕われることも多かったと言います。
その反面、宿題をしなかったりすると怒って怖かったそうです。
森崎さんがまじめで謙虚な性格になったのも、おばあちゃんの教えがあったからでしょうね。
それでもかわいい孫、家では甘やかしていたようです。
目に入れても痛くない存在、万国共通でしょうか?
おばあちゃんからたくさんの愛情をもらった森崎さんは、両親のおかげもあり不自由なく育ちました。
そのおかげか、両親がそばに居なくて寂しいと思うことはあまりなかったとか。
おばあちゃんの味

おばあちゃん大好きっ子の森崎さんは、おばあちゃんのご飯が大好き。
特に、おばあちゃん特製の『牛肉の煮込み』の味はいつまでも覚えているそうで、
ホクホクと柔らかく煮込まれた牛肉はとっても美味しいとコメントしています。
どんな味でしょうか?愛情いっぱい入ってそうですね。
日本で両親と暮らす
森崎さんの母親が弟を妊娠した時に、ミャンマーの治安も不安定だったため「日本で一緒に暮らそう」と家族4人で暮らすことに。
大好きなおばあちゃんや大切な人たちと離れたくなかった森崎さん。
おばあちゃんから「日本はすごくいい所だし、楽しいよ。向こうで頑張りなさい。」と言われます。
本当は寂しかったおばあちゃんですが、涙を見せず明るく送り出したようですね。
こうして10歳で家族のいる日本(東京)へ行くことに。
来日すると初めて見る雪や景色に驚き、文化の違いに戸惑ったそうです。
お店では列に並んでいるのも不思議だと感じています。
ミャンマーは温暖な気候に、人も穏やか。
東京は便利な街だけど、人との距離を感じ「寒い国」だと感じたそうです。
国が違えば、文化も風習も違いますよね。
馴染むまでに苦労も多かったのではないでしょうか?
来日した当時いじめにあう
公立の小学校へ通い始めた森崎さんは、来日してからいじめにあってしまいます。
言葉もまったく話せず、つらい日々を送っていました。
両親に相談するものの、親はとても厳しく「いじめに負けるな」「学校に行きなさい」と仕方なく通い続けていました。
それでも、持ち前の明るさと謙虚な性格で、助けてくれる先生や友達に恵まれています。
最終的にはいじめをしていた子も、スポーツを通じて友達になっています。
知らない国に来ていじめにあうなんて、子どもにはとっても辛い経験だったはずです。
ですが、この経験が彼を強くしてくれました。
森崎ウィンは中学2年の時にスカウトされる
森崎ウィンさんは、女の子と待ち合わせをしている時にスカウトされました。
サッカーに夢中で、芸能にまったく興味がなかった森崎さん。
しかしレッスンを始めると演技に興味が出始めます。
初めてのドラマで演じてみると「この世界でイケるかも!」とやる気になっています。
マネージャーからは歌える?とリクエストされ、そこから歌とダンスのレッスンも始まりました。
そして俳優と歌手として活動していくことに。
ちなみに、森崎さんを語るうえで欠かせないアーティストがいます。
それはマイケル・ジャクソン。
初めて見たPVは「Remember The Tim」で衝撃だったと語っています。
映画『レディ・プレイヤー1』に大抜擢される
森崎ウィンさんを有名にした映画と言えば、スティーブン・スピルバーグ監督の『レディ・プレイヤー1』。
映画を見た当時は、日本人が選ばれてる!と興奮したのを覚えています。(まだミャンマー人だとは知らなかった。)
オーディションではビデオ審査を通り、ロサンゼルスでスピルバーグ本人に会っています。
渡された台本で芝居をし、発表を待つことに。
もう駄目だと諦めていた8ヶ月後に、合格の連絡が届き、見事ダイトウ(トシロウ役)に選ばれました。
嘘なのでは?と本人も驚いたと言います。
現場では監督にアイデアを提案、ただ演じるだけでなく刺激をもらい成長するきっかけになりました。
次の映画では『蜜蜂と遠雷』で新人俳優賞を受賞。
これ以降、森崎さんにはたくさんのお仕事が来るようになりました。
俳優としてミュージカルに出演したり、歌手として活動したり忙しい毎日を送っています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
今回は、森崎ウィンの子供時代は?両親と住んでない?生い立ちを調査!について調査してみました。
- 両親は共働きで海外、年に数回会いに戻る。
- 森崎ウィンは、9歳までおばちゃんと2人暮らし。
- 10歳で日本へ渡り、家族4人(父・母・本人・弟)暮らし。
- 来日した当時、いじめられていた。
- 中学2年でスカウト、はじめはまったく興味がなかった。
- 『レディ・プレイヤー1』に出演し、有名になった。
まだまだ若い森崎さんですから、これからもたくさんの作品や海外でも活躍することがあると思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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